nikki

適当なことを言う日記です

 

「君は寂しいんだね」

言われて、ああ、これは救いのような顔をした呪詛なのだ、と確信した。自分は寂しかったのだと思わされてしまった。とたんに、自分が寂しかったのか、本当はそうじゃなかったのかも分からなくなってしまった。

 

 

「このこと、みんなには内緒にできる?」

この人は、物語が好きなのだな、と思った。

 

 

「詩のように生きられないのなら、せめて好きなように生きたいな。好きなように生きられないのなら、せめて詩のように死にたい」

酔い覚ましの水を飲みながら、その人は言った。

カーテンを開くと、ちょうど朝日が昇ってきた。

賢ぶるということ

賢ぶっていないと愛してもらえない気がした。飾ることのない自分を好きになってくれるひとがきっといるなどと、とても信じる気にはなれなかった。そんな夢みたいな話を嘯くひとは、みんな考えの足りない馬鹿に思えた。いまだってそう思っている。そんなものは、自分を矯飾することに疲れた身勝手な人間の、自分を慰めるための美辞麗句だ。呪縛から逃れることのできる種類のひとは、ほんの一握り、単純明快に、器量の良いひと。何より見目の良さに惹かれるのは動物としての本能なのだから仕方がない。だからこそ私たちは器量の良いふりをするのだし、それが無理なら頭の良いふりをするのだし、それが無理なら見返りを求めてひとを愛してみるのだ。私たち頭のつかえる動物にとって目下の課題は、「仕方がない」を乗り越えて本能に打ち克つこと。この課題は、私たちが頭をつかえるようになって以来、ずっと目下にある。ずうずうしく視界を狭めている。そんな瘤に頭を悩ませ、あれやこれやと頭をつかって試みた末に疲弊し果て、目の前にパッと眩いばかりの美男美女が現れたなら、頭を放棄して本能のままズブと嵌まりこんでしまうのはしかし、道理である。それだから私は、にんげんカッコつけて賢ぶってしかるべしと、自分を慰める誘惑に、せかいのひとを勇気付ける誘惑に、私の毛嫌いする綺麗事と同じくらい幻想じみた甘言を口にする誘惑に、抗いがたいのだ。

1044文字

うちの姉は少し変わっている。どこがどのように変わっているのか、具体的に言い表すことはなかなか難しいのだけれど、家の中でもしじゅうマスクをつけているだとか、爪をほとんど切らないだとか、生き物のにおいがするから木のスプーンが嫌いだとか、要するにそういうことの積み重ねで、なんだか変なのだ。

 

明日ドライブに行かない、と誘われたのは昨日の夜の話で、僕は、ああ、とか、うん、とか、いいよ、とか言った。誤解してほしくないので言っておくけれど、僕は変な姉のことが好きだ。言ってみるとこっちの方がよほど誤解を招きそうだけれど、あえて何も言うまい。ドライブと言ってどこにいくのか、何をするのか、どちらが運転するのか、姉は何も決めずにいた。あるいは決めていて、何も知らせずにいた。それどころか、今朝になっても姉はまるで出かける準備もそぶりも見せないので、僕は夢で交わした約束を現実のことと混同しているのだろうか、その可能性の捨てきれないうちは姉に声をかけるのも気恥ずかしく、ただ時間の進むまま、昼食にUFOカップ焼きそばを食べ、入念に3回手を洗った。歯を磨きながら、やはり夢だったのだと確信を強め、悲しさ半分にほっとして、DHCのヘム鉄サプリメントを水と一緒に胃に流して、ごくりと喉を鳴らすと、けっこう元気が出たように思った。すると姉が、「そろそろ出るよ」と言うので、僕は、え?ああ、そういえばそんな約束もしてたっけね、ふむ、いやあ、すっかり、うっかり、というふうに、「あ、うん。」と言った。

 

僕はいま助手席に座っている。カーステレオには姉のiPhoneBluetoothで繋がれて、クラムボンが流れている。

 

高いところへ登ろう

とびきり高い高いところへ

そうすれば 二人のこれからも見えるかもしれないね

 

姉は黒い革手袋をはめて車を運転している。あいも変わらず変な姉だ。

 

「ねえ、高いところから未来が見えるなら、うんと低いところで、昔が見えたりするのかな」

 

「さあね。でも、この歌はそういうことを言ってるんじゃないと思う」

 

「馬鹿。昔が見たけりゃ、ビデオがあるじゃん。」

 

 

姉は郊外のだだ広い駐車場に車を停めた。免許センターの駐車場だった。

僕が二時間ベンチに座っている間に、姉は講習を受け終わって免許を更新した。

 

「みて、これ」

 

いましがたとった新しい免許証に写っているのは、確かに今の姉だった。

 

「古いのって、回収されちゃうんだね」

 

「また見たければ、うんと低いところにいきゃいいよ」

 

「つまんない」

すいぜんの的、の苺。

なんとなく身体の調子が悪いと感じるときは、だいたいにおいて糖分、それか水分が足りていない。さいわいカルシウムは始終不足することはないらしく日常で必要以上に自分の狭量さを意識させられるようなことはないけれど、カルシウムなんて経口でも皮膚でも摂取した覚えはないので、おそらくじわじわと体内の骨を溶かして確保しているのだろう。頭蓋骨の、こめかみのあたりか、いまもじゅくじゅくと溶けている感覚がある。脳みそが横から締め付けられて、鬱血している。なんの予定もない日の白昼に、文庫本を片手に陶然と眠りにおちてしまうまえの、ゆるくて心地好い圧迫感に似ている。

 

本当に心底から醇乎たるおもいで食べたかったハーゲンダッツのストロベリー🍓が何者かの手にかかり安置室(冷凍庫)から姿を消した。そんなのってないぜ。ほかにも抹茶とかキャラメルとか期間限定スイートポテト(!)とか色々あるのに、それにアイスの味の中で白眉ともいうべきバニラすらもさしおいて、いちご味を1番に食べるもの好きがいる。にべなく黙って平らげてゴミ箱に残骸を捨てていく。

生き馬の目を抜く東京で今日も暮らしている。

 

 

ももとししとう

冷蔵庫の野菜室その奥底に消費期限をとうに過ぎたししとうがあり、しんしんと積もった黴は細雪を思わせた。目にした途端に視界は靉靆とし、前後不覚の霧中であるいは卒倒しようかというのをすんでのところで引き留めたのは右手にそっと握られたもも(🍑)だった。

 

皮を剥き身を切り皿に盛り付け

「ももが切れたよ」

と言いダイニングでひとりもも(めちゃ甘)を食らいやわらか・プレミアムティシュ コットンフィールで口をぬぐうと、ふたたび冷蔵庫の前に仁王立ちで立ちふさがり、いや冷蔵庫に仁王立ちで立ちふさがれ、えいと野菜室を開けると、ししとうは忽然と姿を消していた。こつぜん。

 

手からは淡いももの匂いがしたから、石けんは使わずに手を洗った。

Ne Me Quitte Pas

ニーナシモンをきいたら留学してたときを思い出してすこし泣きそうになった  それは確実に日常としてしこしことすごしていたはずの留学生活がいつのまにか非日常の思い出にかわってしまっていることのまぎれもない証左で美化ふざけんなとおもい脳内のイメージから必死に色を抜いてはふたたびニーナシモンに色づけされきょうも生活が続いている

どう考えても直接みる世界よりテレビの4K画質のほうがずっと画素が高くて何度みてもあたまが混乱するのは私たちが救いようのない馬鹿だからではなく自己防衛みたいなものなのかとぼんやり思ったがなぜそう思ったのか思い出せない  模範的に生きているうちは決して想像しうるよりも鮮やかには瞬間は過ぎていかない(氷はあくまで冷たくバラはあくまで赤い)

 

おじいちゃんが死にかけている  比喩ではない  生きてほしいけど、けど、無理しなくていいけど、勝手に全身から生命力(があるとすれば)をこちらからあちらにおくるハグをした  もう一週間ももたないんだって  どうする?どうしようもないか  賢しらぶってる場合じゃないにゃん