沈黙について

こんばんは。お久しぶりです。

 

以前、マーティン・スコセッシ監督の映画『沈黙-Silence-』を観ました。

2人のキリスト教司祭が17世紀の島原の乱後間もなく、キリスト教弾圧の最も厳しかった時代の日本に渡り、そこで切支丹の悲惨な殉教や残忍な拷問を目の当たりにしながらも逃げ延び生き続け、教義とは何か、この惨憺たる現状をみてなぜ主は沈黙しているのか、と苦悩する物語でした。

 

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その映画を観たときの感想としては、正直、難解で、それに長い映画というのもとても苦手なものだから、「なんだかメッセージ性の強い時代映画」くらいの認識でした。

 

ところで、僕には映画好きの兄がいるのですが、その兄もそれを観たというので感想を求めると、「あれは本当に映画好きのための映画って感じで、わかる人にだけわかるやつだよね」、なんて言っていたので、そんなもんかなあと、諦めに似た納得をしていたのですが、まあこの兄というのが稀代のミーハーで、今思えば稀代のミーハーがその映画に気の利いた感想やコメントを残せるはずもなく、だから、『流行好きの化けの皮を剥ぐことのできる映画』ということは、やっぱり良い映画だったのだな、と思います。

 

それで、その映画の原作になった、遠藤周作『沈黙』を今日読みました。

圧倒されました。

 

映画で観るよりずっと心の芯に迫る強さがあって、段々を登るような高鳴りがあって、胸の痛む瞬間があって、パッと本を閉じて考える時間があって、これは、すごい、なんというか、音声を伴った映像に対して、自然、情報量で力負けしている小説が、僕の中で革命を起こした感がありました。これを読んだ上で、もう一度映画を観たい。というか、完全に順番を間違えた。映画で結末を知ってしまっているから、どこか文字を追うことに没頭できない自分がいて、先に原作を読んでいれば、さらに大きい衝撃を受けることができたかもしれないのに、と思います。

心に響く、なんて言うとキザっぽいけれど、読んだ後に心の底から感慨に耽るような、衝撃的に素晴らしい本でした。

 

 

 

最近、駄作に割く時間はねえなと、心底感じます。それは、本は勿論そうだし、テレビや、映画や、音楽や、畢竟人間にも思うことで、残り何十年の人生で、幾つの、胸を打つ傑作に触れることができるんだろう、という焦りが身体中を駆けて、自分の感性に嘘をつかずジャケ買いや背表紙買いをすることは、確かに思いがけない感動との出会いを生むけれど、それより確実な絶対に読むべきもの・観るべきものに、真っ先に目を向けるべきなんだな、と思います。

 

そんなことを言う自分も、他からみれば、所謂「ミーハー」なのかもしれない。その上自分はどうしようもない人間で、恥の多い半生を送ってきて、大抵の人は『甲斐性なし』『世渡り下手』『アスペ』などと嘲りますが、せめて、大半のミーハーに嫌われようとも、「わかる人にだけわかる」ような人間でありたい、と今は思います。できるだけ頑張らずに。無理か。あはは。

 

おやすみなさい。