nikki

適当なことを言う日記です

チャクラ

考えると怖いことには、自分がもし本源的に音楽文学映像その他文化そのものにたいした興味がないとしたら、自身の体・思想自体はいびつなパッチワークでできた鏡の〜中のマリオネッ、でしかないのではないか、ということだ。

文化そのものに興味がなく、あるのは自己愛とすべての取りうる自己防衛手段への興味だけだとしたら、その消化した文化等の上に構成される自分は、自意識の作り出した「こうあってほしい」という自分でしかなく、それは経験としてあるいは知識としてインプットされた文化群のいびつなパッチワークでできた鏡の中の虚像、過剰で打算的な自意識というカンクロウに操られる傀儡でしかないのかもしれない。

そう思うととても不安になる。人の内面の奔出たる作品を単なるインプットの対象とするのは失礼で虚しい。知識経験としてではなく原体験的に、思想を構成するレベルで文化に触れたいが、そういう強迫観念の下でそれを実践するのでは意味がなく、しかしそれでは袋小路なので、ここはひとつ妥協して、強迫観念下での実践を良しとして、強迫観念下での実践をするのがいいのかとも思うが、それではやはり意味がないので、やはり袋小路なのである。

今月末に人生で初めて日本を脱出する。純で密な触れ合いができるといいな。