nikki

適当なことを言う日記です

救いと音楽

‪この間ツイッターで「音楽に救いはない」という意見を見た。この人は随分簡単に他の人が大事にしてるものを否定するのだなと最低な気分になったのでちょっと書きます。

 

この人は、まずもって救いというものをなんだと思ってるんだろう。想像で申し訳ないが、そもそもきっと「音楽に救いを求めること」を、もっと言えば「救いを望むこと」自体をたいして考えたことがないのだろうな、と思う。劇的な衝撃で、それを境に急に人が変わって、人生何もかもうまくいくような物を想像してるなら、覚せい剤でもやればいい。実家に帰って親に泣きつけばいい。そんな手前勝手な「救い」を、お手軽にちょっと好きな音楽を聴いたくらいで得られると思うその心が「色々音楽は聴いたけどね〜やっぱ救いないわ、周りの音楽好き見ても救われてる人なんていないっすわ(笑)」って、笑わせんな。

 

救いはもっとずっと深い深度で作用するものだと思う。さっき言ったようなお手軽でただただ自分に都合の良いものではなくて、ただそこにあって生きるよすがになるものだと思う。信仰と救いは密接につながっている。辛いことをただ辛いこととして悲観するのじゃなく、主の与えた試練だと信じる。魔がさしても、お天道様が見ているからと辛抱する。それでも罪を犯してしまったなら、懺悔することだってできる。この赦されるという実感は、それこそ本当の救いの瞬間とも言えるかもしれない。

音楽にも同じことは、きっと言えるはずだと思う。劇的に人の人生を変えることはしなくても、誰かの生きるよすがにはなり得ると思う。

それを真っ向から、いや、真っ向とも言えないような安全地帯から否定することが、つまりそもそも音楽に救いを求めたこともないような人間がへらへらと否定することこそが、音楽にある救いを無視して、音楽に救いを求める人の存在をコケにして、ついにはなかったことにしてしまうんじゃないかと思う。

 

つまりそういう輩は一回死ね!ってことです。