nikki

適当なことを言う日記です

読書会

今度この本を一緒に読みませんか。

いいですね。ぜひ読みましょう。

 

一緒に読むとはどういうことだろう、と、二つ返事で提案に乗ったあとで首を傾げた。一緒に、というくらいだから、喫茶店などで一冊の本を広げ、横並びで座り(対面では片方が上下逆さまで読むことになるのでそれはつらいだろう)、いちいち相手が読み終わったかどうかちらちらと確認しながら、ページを繰っていくのだろうか。「読んだ?」「読んだよ」なんて声をかけながら進めていくんだろうか。いずれにしても、私は読むのが遅いので迷惑をかけることになるかもしれない。それとも、各々が同じ本を一冊ずつ持ち寄り、黙々と読むのだろうか。それって空間を共有しているけどしかし、一緒に読むというのだろうか。まず、一緒にというのは、空間的な距離の近いことをいうのか、それとも時間とか精神とか、3次元よりももっと高次のレベルでの話なのか、よくわからない。そのひとは言葉を丁寧に選ぶひとだけど、同時に含みをもたせて相手に考える余地を与え、悩んでいるのをみて楽しむようなひとでもあるから、今の私はすっかり、してやられている。頭が良くて悪趣味なそのひとのことをカラスみたいだと言ったら、カラスを悪趣味と言下に決めつけるのはよくないと言い返されて、たしかに、と思ってしまった。モチーフとはステレオタイプのことに他ならない。などと本質めいたことを考えている時点で、私はそのひとが悪趣味であることを忘れている。負けている。そんな私をみて、そのひとはやはり笑っている。つくづく悪趣味だ。

 

頭のいいひとに対抗するのに一番良いのは、何も考えず物量的にものごとを行うことだ。だから私は、本を「一緒に読む」という段になったら、喫茶店で対面に座り、そのひとには逆さから読んでもらうことにしよう。それでもそのひとは、きっと勝ち誇ったような笑みを浮かべているに違いない。そして、どうやらその時、私の方でもそれを楽しんでいるように思うのだ。私たちはつくづく、悪趣味だ。